感情を消す
感情のコントロールさえ自在にできるなら人生の悩みは99%解決する。 ここでお伝えしたいのは究極の感情統御法。怒りも悲しみも長引かせることなく消してしまえる。 修行を積むと一瞬で消せる。何ものも恐れることのない人生を、ここから始めてほしい。
photo credit: てりまかし via photoAC
感情のコントロールさえ自在にできるなら人生の悩みは99%解決する。 ここでお伝えしたいのは究極の感情統御法。怒りも悲しみも長引かせることなく消してしまえる。 修行を積むと一瞬で消せる。何ものも恐れることのない人生を、ここから始めてほしい。
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そりゃあ、私だって人間です。
あなた方と比べてみりゃあ、あなた方より以下かもしれない。
裸にすりゃあ、へそはやっぱり一つですよ。
修行して、インドへ行って難行苦行したから、
へそが三つになったってわけじゃないんだから。
だから、私だって、
そりゃあ腹が立つこともあれば、悲しく感じることもある。
恐れることは、生涯ないとはいわないけど、あるかもしれないけど、
今まであんまりありませんでしたけど、
とにかく怒ったり、悲しむことは人並みですよ。
そんなに人を憎むってことは、
生まれてからあんまりしたことがないから、憎まないけども。
それから、
うらやましくもあんなりないけれど、
まあとにかく、とくに怒ることは、私は自分でも、恥ずかしいくらい、
のべつ怒ってたというような人生だったんです。
今でもときどき、そういう気持ちがでますよ。
こう言うと、
「へえー、じゃあ天風、あんまりえらくないね」
「あんまりえらくねえんだ」
「それじゃあ、おれたちと同じじゃないか」
「そう。同じ人間だもん」
ただ、
違うところが一つある。
どこだというと、
同じ怒る、同じ悲しむんでも、
「あ、今、天風先生、怒ったな、今、天風先生、悲しんだな」と、
あなた方に見えないうちに消しちまう。
パパッ、パパッと。
あなた方は、
怒りだしたり、悲しみだしたりすると、
そらもう派手ですぜ。
すぐ第三者に、
「あ、怒ってる、悲しんでる」とわかるようにやりだすね。
そうして、わからせたうえに、
これがまた実に、ほかのことじゃあしんぼう強くもないのに、
そういうときの感情だけは実に念を入れて長く続かせるね。
それを執着というんですがね。 中村天風師「心に成功の炎を」より
恐怖、憎しみ、愛、妬み、貪欲、慈愛、不安、優しさ、
といった心の産物のすべては、やって来ては去って行きます。
執着しているとき、
私たちはそれらが長く続いてほしいと思ったり、
あるいは早く消えてほしいと思ったりします。
しかし無常の法則がわかると、そんな願いが不毛なものであることがわかります。
滝を握りしめることはできません。
この真実を観察することはそれ以外の自然現象を観察するのに似ています。
法則性が姿を現してくるのを見るのは確かに楽しいことです。
***
最後には、あなたの個人史や学んだことをまじえることなく、
物事をありのままに見ることができます。
そうすると執着が弱まっていきます。
それは頑張らねばならないというようなものではありません。
それはただ起こるのです。
***
執着を真に洞察するまでは、執着を手放すことはできない。
しかし、
いったん執着の何たるかを理解すれば、
その戦いはほとんど勝ったようなものだ
***
ある特定のケースにおけるその消火というのは瞬間的で一時的なものかもしれません。
特定の執着が終わっただけですが、その執着は本当に消滅します。
その中でさえも涅槃を前もって少し経験することができます。
私たちは解放の風味を味わい始めます。
真の解放はすべての貪欲、嫌悪、そして迷妄から自由になることでしょう。
私たちはこの世界に住んでいますが、
もはや物事にしがみつくこともなく、押しのけることもなく、
それらから自己をこしらえることもありません。
たしかに、
ブッダが得たような完全な消滅を獲得する人は多くありません。
しかし消滅を味わうことは広い範囲で可能なのです。
消滅というのは抹殺ではないことを理解することが重要です。
修行の初期には恐怖、怒り、寂しさ、情欲といった否定的な状態に直面して、
解放されるためにはそれらを抹殺しなければならないと考えるかもしれません。
そんな類の人間ではありたくないと自我は思うわけです。
おそらく初期の頃は私たちのすべてがそんな願いを持っていますが、
その願いの中に大きな自己が存在します。
そのとき、
私たちが得たいと想像しているのは本物の自由ではありません。
それはある強迫をもうひとつの強迫と交換しただけのことです。
消滅の中には自己がありません。
それは苦しみの終わりであり、
その苦しみは物事を私だとか私のものとして執着するところからやって来ます。
もちろん消滅は痛みの終わりではありません。
身体はまだ病気になりますし、老化しますし、死んでいきます。
しかし、消滅はしがみつく心からやってくる不必要な苦悩の終わりなのです。 ラリー・ローゼンバーグ「呼吸による癒し」より
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